2021.3.25  カテゴリー: NEWS

禰寝氏累代の墓(史跡)

南大隅の一帯を治めていた禰寝氏の累代のお墓があります。

初代から四代までは佐多郡地区にあり、五代から十六代までは根占川南地区にあります。

現在はどちらの墓も地元の方がきれいにされていますが、初代から四代までについては散乱していた墓石を禰寝氏二十四代の清香が宝暦3年(1753年) 禰寝から小松姓に改名したときに、一時的にこの地へ帰り、先祖を偲び修造したそうです。現在、建っているものはその時の供養塔でありしっかり宝暦と刻まれています。

墓石は鹿児島の火山地帯特有の溶結凝灰岩が使われています。薩摩、大隅国の名家ではよく使われる石です。

石の色は黄色で高貴に見えます。加工しやすいく、また風化しにくい特徴があります。古いお墓は長年のホコリや風雨により灰色に見えますが、清掃し汚れを落とせば元の黄色が戻ります。

二十四代 清香は禰寝氏が豊臣秀吉による日本全土で行なった太閤検地(1596年)のときに移封され、根占の地から現在の日置市吉利へと移ります。(幕末の幻の宰相 小松帯刀は肝付家から小松家へ養子となり、吉利の地を治めることになります)

錦江湾を渡って離れた地へ移封された清香は、遠い故郷とご先祖を思い墓を修造したのではないでしょうか。

そして、故郷やご先祖様を思う気持ちは、南大隅の人たちにもしっかり引き継がれています。


初代から四代の禰寝家の墓(佐多郡)

 


五代から十六代禰寝家の墓(根占川南)